信州上田カメラ屋気まぐれブログ

長野県上田市の松尾カメラ店主のブログです

写真で「つたえる」と言うこと

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写真の被写体を求めて歩いていると、日常では見過ごしてしまっている様々なことに気づかされる場面が多々あります。数年前に急逝された上田市出身の写真家 石井正彦氏は著書「気づきの写真術」の中で「カメラを持った芭蕉になる」と言う表現で、写真撮影の楽しみかたを伝えています。

そして、撮影者本人の気づきにとどまらず、写真は「作品」として発表されることで、見知らぬ人たちにも多くのことを伝える力を持っていると感じます。
米国コロラド在住の写真家 小池清通氏の作品が今月発売のアウトドア雑誌ガルヴィに掲載され、私のつたない感想を小池さんにメールさせていただいたところ、心にしみる返信をいただきました。小池さんの写真作品はもちろん、こちらの文章も多くの方にご覧いただきたい思いますので、以下に転載します。

私のメール
この季節になると、林の中はカエルやセミのけたたましい鳴き声に包まれます。
頭では理解しているものの、感覚としては、セミのように羽を持った生き物は、どこか暖かい南の方から飛んできたように錯覚してしまいます。しかし彼らは、凍りつく冬の季節は、地面の下でじっとしつつ命をつないでいる。
記事を拝見し、土や砂、地面の重要さを改めて思い知らされます。
私たちが子どもの頃、セミを採りつくしてしまったから街にセミがいなくなったのではなく、地面をコンクリートアスファルトで固めてしまったから彼らは街の中の居場所をなくした。
最近、多く語られるようになった水辺の環境とともに、土壌についても、もっと意識しなければならないと思いました。

小池さんからの返信

自然が常に教えてくれているものに気づくことの大切さは何気ない生活の中に残されている風習や言葉に含めることによって先人が後世(現代)に残してくれています。風情を感じさせ心の底とつなげてくれるような表現を含めた俳句や短歌。沢に流れる水の音や人為的に作られた獅子脅しの竹の音。森の葉のざわめき。限られた季節の中で種の保存に生命をかける虫たちの姿に、子どもは気を引き付けられたものです。

当たり前にあるものが当たり前ではないと感じる心。人間においては、それが「感謝」という気持ちを育て、存在するものに対する気持ちの成長を促します。 物に心が篭る、というのはそういうことにもつながっていると思います。

大量生産や物流の発展が作り出した大きな腫瘍は、人間の生態系の中の各所に悪循環を引き起こし、それに気づくか気づかないかに関わらず、全体の循環を自然が与えてくれるものにしない限り、今後も弊害(社会的疾病)を続けることでしょう。そして、その中で生きるべき我々も、個々の身体という生態系において同様の試練を強いられることと思います。現代病と呼ばれるものが、現在の生活スタイルや食材の内容に起因していることは確かです。

人の目に触れた姿だけではなく、地上に姿を現すまでの生き様を知ることによって、蝉さえも何かを私たちに教えてくれます。冬眠する両生類や爬虫類たちも、食べ物が豊かになる季節に合わせて卵を産み、全く活動のできない冬のためにエネルギーを蓄えることを知っています。

種の保存と進化というもの。それは、理屈ではなく生きるべきものが本能で知っている大切なものであり、本能を過剰刺激し経済という名の自分本位なシステムを作ることによって他種を滅ぼすような行動を続ける人類には、どのような役割があるのでしょう。

自然は常に何かを教えてくれています。水は必ず低いところを求めて流れ、その「通り道」には川が出来、谷ができます。山から流されたものは、海に入り、海に流れるものがあるから栄える命もあります。それぞれが、全ての点でつながっているということを認識することが、今の私たちには必要なのではないでしょうか。

写真というものは、そういう「つながり」を教えてくれる大切なものだと思います。

小池清


米国在住写真家 小池清通氏のwebサイト
http://www.usa-japan.com/nature/index.html

松尾カメラのホームページ http://matsuocamera.com

信州上田生活支援サイト「真田坂Web」 http://sanadazaka.jp/